人それぞれ(実習回想編)
2006年11月15日 日常11月後半、最後の実習は
老年リハビリ期看護実習。
お世話になった科は、
脳神経外科。
実はこの病棟、
2年生の夏、
基礎実習で行ったことがあり、
苦い思い出がありました。
それは、めちゃめちゃ、
ケアが多くて、
それをこなすことで
精一杯。
体が疲れて、頭で考えるってことが
あまり出来なかった。
今回は、3年間の実習、
総まとめになるしと、
気合入れていってきました。
リハビリ期といっても、
うちの病院は、
超急性期病院なので、
脳外科にいる患者さんは、
ほぼ救命上がりで、
本格的なリハビリは
までは、できない人たち。
状態が安定すれば、
リハビリ病院へ転院するまでの
患者さんが多いです。
今は、脳卒中後のリハビリの
保険適用が、
発症6ヶ月までなので、
本当に、入れ替わりが
早いと思います。
そんな患者さんと
接して、
急性期→亜急性→リハビリ期に
繋いでいく過程で、
そのスピードは
人それぞれだなぁ。と
本当に思いました。
もちろん、損傷部位や程度
年齢や、性格とかいろんな
要素があるし、
一概に、この人は
こうとはいえないけれど。
病気は、画一的じゃなく
その人その人で、
本当に、違う。
ある患者さんは
出会ったとき、全介助でないと
立つという動作ができなかった。
身長150?チビな私にとって
170?以上で、フクヨカな
体格の彼を
支えるのは、本当に難しかった。
一人じゃ、潰されるので
二人がかり。
それが、日を追うごとに
患者さんの
足に少しずつ力が入って、
私一人で、立位介助が
できたときは、
患者さん、ナース、私と
抱き合って喜びました。
私にとっては
2重の喜び。
ひとつは、患者さんの頑張り。
もうひとつは、私の技術が
ほんの少しは、向上したこと。
今まで、どんな介助よりも
移動介助が、嫌いで苦手だったので
イイ学びとなりました。
そして、急性期病院だから
リハビリの最初の最初の一歩を
味わえるんだなぁ。と思いました。
違う患者さんでは、
年齢も若く(私と10歳も変わらない)、
出会ったときには、
歩くというような
動作に問題はなかった。
そおゆう問題ではなく
脳の気持ちをコントロールすることや、
記憶するという行為が、
難しくなっていた。
リハビリといえば、
歩けるようになるとかを
イメージしやすいけど、
記憶する、心を落ち着かせる
リハビリは、貴重な体験でした。
あとは、リハビリ期とは
違うけど、
意識がなく、死というものが
もうすぐやってくる
患者さんも担当させていただいた。
初めは、目の前の
人工呼吸器が止まれば、
すぐに。さよらなになってしまう患者さんを
見て、
どんな関わりをすべきか
わからなかった。
その中で、
私が気づいたことは、
たとえ、意識がなくても
息をすることできなくても、
残った(まだ出来る)機能が
必死に生きようとしているんだって。
排泄があれば、
ちゃんと消化吸収できてるんだなぁ。とか
布団が暑ければ
ちゃんと汗かいて、
調節しようとしているんだなぁ。と。
もうあの患者さんが
意識が戻ることはないし、
ある意味、人間としては
非生理的な形だと思う。
家族が、納得するまでとか、
本人の意思とか、
延命治療には、色んな意見があって
どれが、いいのか
私には、まだよくわからない。
自分の考えが、未熟だろうが、
あやふやだろうが、
病院にいれば、
そおゆう患者さんが、目の前にいる。
少しでも、その生きようとする力や、
人間らしい生活に近づくケアを
しっかりやっていきたいと思う。
老年リハビリ期看護実習。
お世話になった科は、
脳神経外科。
実はこの病棟、
2年生の夏、
基礎実習で行ったことがあり、
苦い思い出がありました。
それは、めちゃめちゃ、
ケアが多くて、
それをこなすことで
精一杯。
体が疲れて、頭で考えるってことが
あまり出来なかった。
今回は、3年間の実習、
総まとめになるしと、
気合入れていってきました。
リハビリ期といっても、
うちの病院は、
超急性期病院なので、
脳外科にいる患者さんは、
ほぼ救命上がりで、
本格的なリハビリは
までは、できない人たち。
状態が安定すれば、
リハビリ病院へ転院するまでの
患者さんが多いです。
今は、脳卒中後のリハビリの
保険適用が、
発症6ヶ月までなので、
本当に、入れ替わりが
早いと思います。
そんな患者さんと
接して、
急性期→亜急性→リハビリ期に
繋いでいく過程で、
そのスピードは
人それぞれだなぁ。と
本当に思いました。
もちろん、損傷部位や程度
年齢や、性格とかいろんな
要素があるし、
一概に、この人は
こうとはいえないけれど。
病気は、画一的じゃなく
その人その人で、
本当に、違う。
ある患者さんは
出会ったとき、全介助でないと
立つという動作ができなかった。
身長150?チビな私にとって
170?以上で、フクヨカな
体格の彼を
支えるのは、本当に難しかった。
一人じゃ、潰されるので
二人がかり。
それが、日を追うごとに
患者さんの
足に少しずつ力が入って、
私一人で、立位介助が
できたときは、
患者さん、ナース、私と
抱き合って喜びました。
私にとっては
2重の喜び。
ひとつは、患者さんの頑張り。
もうひとつは、私の技術が
ほんの少しは、向上したこと。
今まで、どんな介助よりも
移動介助が、嫌いで苦手だったので
イイ学びとなりました。
そして、急性期病院だから
リハビリの最初の最初の一歩を
味わえるんだなぁ。と思いました。
違う患者さんでは、
年齢も若く(私と10歳も変わらない)、
出会ったときには、
歩くというような
動作に問題はなかった。
そおゆう問題ではなく
脳の気持ちをコントロールすることや、
記憶するという行為が、
難しくなっていた。
リハビリといえば、
歩けるようになるとかを
イメージしやすいけど、
記憶する、心を落ち着かせる
リハビリは、貴重な体験でした。
あとは、リハビリ期とは
違うけど、
意識がなく、死というものが
もうすぐやってくる
患者さんも担当させていただいた。
初めは、目の前の
人工呼吸器が止まれば、
すぐに。さよらなになってしまう患者さんを
見て、
どんな関わりをすべきか
わからなかった。
その中で、
私が気づいたことは、
たとえ、意識がなくても
息をすることできなくても、
残った(まだ出来る)機能が
必死に生きようとしているんだって。
排泄があれば、
ちゃんと消化吸収できてるんだなぁ。とか
布団が暑ければ
ちゃんと汗かいて、
調節しようとしているんだなぁ。と。
もうあの患者さんが
意識が戻ることはないし、
ある意味、人間としては
非生理的な形だと思う。
家族が、納得するまでとか、
本人の意思とか、
延命治療には、色んな意見があって
どれが、いいのか
私には、まだよくわからない。
自分の考えが、未熟だろうが、
あやふやだろうが、
病院にいれば、
そおゆう患者さんが、目の前にいる。
少しでも、その生きようとする力や、
人間らしい生活に近づくケアを
しっかりやっていきたいと思う。
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