レディース病棟(実習回想編)
2006年9月29日 日常なんか、怪しいタイトルになってしまった。。。
まったく、ピンクなお話
ではないので、
期待した人ごめんなさい。
就職試験もあった
9月は、婦人科で実習でした。
科目は、成人終末期看護実習。
私は今まで、この実習より前に
2人の患者さんを
お見送りしたことがある。
でも、それは、どちらかというと
突然やってきた死だった。
この実習では、
余命を患者さん自身が感じながら
生きるということを
一緒に、考えさせていただいたと思う。
今までは、患者さんが
回復に向かう看護って何?って
主に考えてきた気がした。
この実習では
その人の思いを見つける看護の
深さがあった気がする。
癌は、死ぬまで痛いというけれど
痛みをとって欲しいだけが、
患者さんの願いなんだろうか?
モルヒネやレスキューで
痛みを抑えて、お風呂にはいった患者さん。
見ている私が
涙がでるほど、嬉しかった。
痛いとき、そりゃ誰だって
痛みをとって欲しい。
その願いは、絶対だ。
だから、必死に私たちは
痛みの原因(メカニズム)を
考え、
それに対応したケアを立案する。
それが、薬の間隔と痛みの増強のグラフ作りだったり、
痛いところを冷やすことだったり、
アロマだったり、
痛みに焦点を当てて、色々考える。
それで、少しでも和らげることができたら
やってよかった。そう思う。
でも、それで看護って終わりじゃない。
だって、痛みがなかったら、
お風呂はいりたいって思うかもしれない。
痛みがなかったら、
ご飯食べたいって思うかもしれない。
お腹が空くっていう感じを思い出すかもしれない。
痛みがなかったら、
家族と笑顔で話せるかもしれない。
痛みがなかったら、
家に帰りたいって思いが
もっと膨らむかもしれない。
確かに、病態はどんどん複雑になっていくし
何が原因で、患者さんが
しんどいのか、わからなくなるとこだってある。
日々のケアとして、
何も手が出せない。
だだ、黙って患者さんに痛み止めを
使う日だってある。
でも、やっぱり
人生の最後、
痛いだけで死ぬなんて、
悲しすぎると思う。
毎日毎日、
人は何かを感じながら生きている。
それが些細な欲求であったり
野望といわれるものだったり、
それは、その人それぞれ。
でも、その思いを少しでも
可能な限り、叶えて差し上げたい。
だから、身体的な痛みをとるだけが
終末期医療・看護じゃない。
そこで満足したら、
患者さんの人としての感情を
狭めてしまうことになる。
生きる、生きた。って
患者さんが感じられるように、
今の思い(例えば、それが痛みをとって欲しい)を
叶えることを、第1の目標としつつ、
その奥にある、患者さんの思いを
見つけていくこと。
それが、終末期看護のひとつの
要素と思う。
もちろん、これがすべてだとか
正しいとかじゃないと思う。
終末期医療・看護のプロにしたら
まだまだ甘いといわれると思う。
でも、これが
12日間、実習させていただいた
私の感じたこと。
まったく、ピンクなお話
ではないので、
期待した人ごめんなさい。
就職試験もあった
9月は、婦人科で実習でした。
科目は、成人終末期看護実習。
私は今まで、この実習より前に
2人の患者さんを
お見送りしたことがある。
でも、それは、どちらかというと
突然やってきた死だった。
この実習では、
余命を患者さん自身が感じながら
生きるということを
一緒に、考えさせていただいたと思う。
今までは、患者さんが
回復に向かう看護って何?って
主に考えてきた気がした。
この実習では
その人の思いを見つける看護の
深さがあった気がする。
癌は、死ぬまで痛いというけれど
痛みをとって欲しいだけが、
患者さんの願いなんだろうか?
モルヒネやレスキューで
痛みを抑えて、お風呂にはいった患者さん。
見ている私が
涙がでるほど、嬉しかった。
痛いとき、そりゃ誰だって
痛みをとって欲しい。
その願いは、絶対だ。
だから、必死に私たちは
痛みの原因(メカニズム)を
考え、
それに対応したケアを立案する。
それが、薬の間隔と痛みの増強のグラフ作りだったり、
痛いところを冷やすことだったり、
アロマだったり、
痛みに焦点を当てて、色々考える。
それで、少しでも和らげることができたら
やってよかった。そう思う。
でも、それで看護って終わりじゃない。
だって、痛みがなかったら、
お風呂はいりたいって思うかもしれない。
痛みがなかったら、
ご飯食べたいって思うかもしれない。
お腹が空くっていう感じを思い出すかもしれない。
痛みがなかったら、
家族と笑顔で話せるかもしれない。
痛みがなかったら、
家に帰りたいって思いが
もっと膨らむかもしれない。
確かに、病態はどんどん複雑になっていくし
何が原因で、患者さんが
しんどいのか、わからなくなるとこだってある。
日々のケアとして、
何も手が出せない。
だだ、黙って患者さんに痛み止めを
使う日だってある。
でも、やっぱり
人生の最後、
痛いだけで死ぬなんて、
悲しすぎると思う。
毎日毎日、
人は何かを感じながら生きている。
それが些細な欲求であったり
野望といわれるものだったり、
それは、その人それぞれ。
でも、その思いを少しでも
可能な限り、叶えて差し上げたい。
だから、身体的な痛みをとるだけが
終末期医療・看護じゃない。
そこで満足したら、
患者さんの人としての感情を
狭めてしまうことになる。
生きる、生きた。って
患者さんが感じられるように、
今の思い(例えば、それが痛みをとって欲しい)を
叶えることを、第1の目標としつつ、
その奥にある、患者さんの思いを
見つけていくこと。
それが、終末期看護のひとつの
要素と思う。
もちろん、これがすべてだとか
正しいとかじゃないと思う。
終末期医療・看護のプロにしたら
まだまだ甘いといわれると思う。
でも、これが
12日間、実習させていただいた
私の感じたこと。
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