今、旅に行ってるわけでもなく
このお話は、
19歳になったばかりの頃のこと。
大学2年になる前の春休み。
私は、某アメリカの州立大学に
ちょっと変わり種の
短期留学にでかけた。
いや。変わってたのは
ほんのちょっとの予定が
私のとこは、
エライ変わってたんだけど。。。
まぁ。それが
今となってはいい思い出ですが(笑)
そこのプログラムは、
短期留学だろうと
長期留学生と同じクラスで
勉強できる。
これが、通ってた大学で
いける短期留学のプログラムの
中で、唯一のもので、
変り種でした。
もちろん長期留学生の中、
国籍も色んな人の中で
勉強するのですから、
学力によるクラス分けってのが
あります。
その当時、
まだTOEICの試験すら
受けたことない私は、
3時間を越える試験で、
ありえない奇跡を
起こしてしまいました(疲)
そのプログラムには、
うちの大学から20人ほど
参加をしていて、
メンバーは新2、3年生。
そのテストを受けた結果
ある4名を覗いて
みんな、初心者〜中級クラス。
じゃあ、残りの4名は?
上級クラスになりました。
あまりの疲労のためか、
唯一2年生の中で、
そのクラスに決まってしまった私(滝汗)
もう一回、試験受けさせてくれと
思いました・・・・
しかも、上級クラスも
1クラスなわけはなく、
4人はバラバラに・・・・
えっと。
私、どーすれば???
平均年齢25歳のクラスに
唯一の10代で。。。
唯一の短期留学生で。。。。
9人というクラスの中で、
バシバシ発言していかないと
置いてけぼりくらう
地獄のよーな
日々が始まりました。。。
下のクラスが楽しく
劇でもしているなか、
先生の方針で、
インタビュー結果をまとめた
プレゼンばっかりしてて。
時には、
地元警察にいって、
指紋採取の仕方を
英語でインタビューしたり、
パトカーに乗せてもらったり。
またあるときは、銀行にいって
大金庫見せてもらったり。
そんなインタビュー&プレゼンの
ペアを組んだ韓国人とは
毎晩遅くまで、
お互いのどーしようもない
英語を使いながら、
準備どころか、
ケンカをしていました(え)
もちろん、クラスの中で
一番学力もなく、
クラスメートの足をひっぱり
まくった私です。
そんな私を助けてくれたクラスメートは多く、
今でも、連絡を取り合える仲です。
そんなメンバーの中で
唯一の日本人がいます。
同じクラスにたった一人いた日本人。
彼女の前では、
何度、ペア変えたいと
ほざいたことでしょう(笑)
そんなこんなで、なんとか
1ヶ月半を過ごした私。
クラスの中でたった一人の
短期留学生でしたので、
皆が特別に、
卒業パーティーを開いてくれました。
そりゃあ、めっちゃ感動して、
ケンカばっかしていたペアとも
仲直りをして(笑)
もちろん、日本人で
助けてくれた彼女にも
お礼をいって、
連絡先を書いた手紙を貰い、
日本での再会を
誓いました。
その後、数日の観光を
楽しんだ私が
日本へ向かう飛行機の中で
あの彼女の手紙を読みながら
心臓が止まるかと思える
体験をしました。
彼女の書いていた実家の住所。
それは私のおじいちゃんの
家の住所と
番地より前の部分が一緒!!!!
日本に帰って
家に帰って、
私がした最初のことは、
おじいちゃんの家への電話。
そしたら、
「あぁ。○×さん。とこのMちゃんか。
よーくしっとるよ〜」
おじいちゃんの家は
島根県の山の中。
田舎なので、ご近所さんは
遠くて、
私は今まで、田舎に帰っても
彼女に遭遇したことはなく。
まさか、アメリカで、
出会った人とそんなところで
接点があるなんて。
そしたらやっぱ
日本での再会は、その田舎!って
なるはずが、
なぜか、再会は京都(笑)
彼女がガ学生時代から
付き合っていた彼が
旦那さんになって
2人で京都に旅行にきていたときに、
会いました。
それは今から2年前。
そして今日、彼女が今すんでいる
アメリカより手紙が。
その中にあった写真には、
彼女とあの旦那様のハズが・・・・
離婚して、新しい旦那様と
写っていました・・・・
また京都行くとき。よろしくー!っと
一言そえて。。。
えっと次の再会は春。
京都でのお花見だそうです。
楽しみなんだけど、なんか
妙に複雑な気分です(汗)
このお話は、
19歳になったばかりの頃のこと。
大学2年になる前の春休み。
私は、某アメリカの州立大学に
ちょっと変わり種の
短期留学にでかけた。
いや。変わってたのは
ほんのちょっとの予定が
私のとこは、
エライ変わってたんだけど。。。
まぁ。それが
今となってはいい思い出ですが(笑)
そこのプログラムは、
短期留学だろうと
長期留学生と同じクラスで
勉強できる。
これが、通ってた大学で
いける短期留学のプログラムの
中で、唯一のもので、
変り種でした。
もちろん長期留学生の中、
国籍も色んな人の中で
勉強するのですから、
学力によるクラス分けってのが
あります。
その当時、
まだTOEICの試験すら
受けたことない私は、
3時間を越える試験で、
ありえない奇跡を
起こしてしまいました(疲)
そのプログラムには、
うちの大学から20人ほど
参加をしていて、
メンバーは新2、3年生。
そのテストを受けた結果
ある4名を覗いて
みんな、初心者〜中級クラス。
じゃあ、残りの4名は?
上級クラスになりました。
あまりの疲労のためか、
唯一2年生の中で、
そのクラスに決まってしまった私(滝汗)
もう一回、試験受けさせてくれと
思いました・・・・
しかも、上級クラスも
1クラスなわけはなく、
4人はバラバラに・・・・
えっと。
私、どーすれば???
平均年齢25歳のクラスに
唯一の10代で。。。
唯一の短期留学生で。。。。
9人というクラスの中で、
バシバシ発言していかないと
置いてけぼりくらう
地獄のよーな
日々が始まりました。。。
下のクラスが楽しく
劇でもしているなか、
先生の方針で、
インタビュー結果をまとめた
プレゼンばっかりしてて。
時には、
地元警察にいって、
指紋採取の仕方を
英語でインタビューしたり、
パトカーに乗せてもらったり。
またあるときは、銀行にいって
大金庫見せてもらったり。
そんなインタビュー&プレゼンの
ペアを組んだ韓国人とは
毎晩遅くまで、
お互いのどーしようもない
英語を使いながら、
準備どころか、
ケンカをしていました(え)
もちろん、クラスの中で
一番学力もなく、
クラスメートの足をひっぱり
まくった私です。
そんな私を助けてくれたクラスメートは多く、
今でも、連絡を取り合える仲です。
そんなメンバーの中で
唯一の日本人がいます。
同じクラスにたった一人いた日本人。
彼女の前では、
何度、ペア変えたいと
ほざいたことでしょう(笑)
そんなこんなで、なんとか
1ヶ月半を過ごした私。
クラスの中でたった一人の
短期留学生でしたので、
皆が特別に、
卒業パーティーを開いてくれました。
そりゃあ、めっちゃ感動して、
ケンカばっかしていたペアとも
仲直りをして(笑)
もちろん、日本人で
助けてくれた彼女にも
お礼をいって、
連絡先を書いた手紙を貰い、
日本での再会を
誓いました。
その後、数日の観光を
楽しんだ私が
日本へ向かう飛行機の中で
あの彼女の手紙を読みながら
心臓が止まるかと思える
体験をしました。
彼女の書いていた実家の住所。
それは私のおじいちゃんの
家の住所と
番地より前の部分が一緒!!!!
日本に帰って
家に帰って、
私がした最初のことは、
おじいちゃんの家への電話。
そしたら、
「あぁ。○×さん。とこのMちゃんか。
よーくしっとるよ〜」
おじいちゃんの家は
島根県の山の中。
田舎なので、ご近所さんは
遠くて、
私は今まで、田舎に帰っても
彼女に遭遇したことはなく。
まさか、アメリカで、
出会った人とそんなところで
接点があるなんて。
そしたらやっぱ
日本での再会は、その田舎!って
なるはずが、
なぜか、再会は京都(笑)
彼女がガ学生時代から
付き合っていた彼が
旦那さんになって
2人で京都に旅行にきていたときに、
会いました。
それは今から2年前。
そして今日、彼女が今すんでいる
アメリカより手紙が。
その中にあった写真には、
彼女とあの旦那様のハズが・・・・
離婚して、新しい旦那様と
写っていました・・・・
また京都行くとき。よろしくー!っと
一言そえて。。。
えっと次の再会は春。
京都でのお花見だそうです。
楽しみなんだけど、なんか
妙に複雑な気分です(汗)
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