およそ1年前に受験を決めた私。そして今。
2003年11月22日 日常えっと改めて報告します。
ダントツ第一志望の
看護学校に合格しました。
合格発表日は
信じられなくて、
次の日に合格通知がきても
まだ夢心地で。
あれから少し日がたって、
やっと実感がわいてきた。
そんな感じです。
まだまだ続くと思ってた
受験生活が
プツリ。と
終わってしまって、
なんだか、あっけないというか
やりきった!!という感じでもないですが・・・
嬉しい誤算です。
受験勉強の8割を費やした
数学をまったく使わず、
受験が終わったのも
びっくりですが。。。
これからが大変なんだから、
浮かれてばかりはいけませんね。
10月から
やってない生物も
勉強しなおさなきゃなダメだし、
怠けたら4月からの
しっぺ返しもあるし(^^;
でも何で受かったのか。
わからない部分が多いんです。
2次の面接では
質問の意図を取り違え、
言い直したり・・・
それも2問も。。。。
職種の志望動機も
言わせて貰えず。。。
自己PRの質問もなく。
だたいえるのは、
ものすごく一生懸命だった。
言葉一つ一つを大切に言ったこと。
できるだけ看護師と自分の過去を
結びつけた答え。
そして
私は、こんなことがしたい。と
言った後、
いや。絶対やります!!と
言い切ったとき、
相手側が、頬を緩ませたのは記憶にある。
それが決め手だったのか?
あとは、無理に大人ぶらなかった。
社会人入試を受けた私。
たしかに18歳の子よりは
大人だとは思う。
だけど、働いた事もないし、
年齢的にも社会人入試受験者の中では
一番年下の部類にはいる。
だから、
すごいキレイな敬語でもなかったし
大人です!とは言わなかった。
大人(30歳とかの人)と
子供(18歳の子)の
間にたつ人として、
パイプ役。そんな人でありたい。
それが22歳である私の役目だと
思うから。
そんな気持ちが通じたのかな。
なによりもそんな私を認めてくれた
学校に入れる
チャンスを掴んだのだから
あの学校で
精一杯やっていこう。
私に看護師になりたいという気持ちを
強めてくれた病院附属の学校で
学べる幸運を忘れずに。
一歩ずつ確実に。
ダントツ第一志望の
看護学校に合格しました。
合格発表日は
信じられなくて、
次の日に合格通知がきても
まだ夢心地で。
あれから少し日がたって、
やっと実感がわいてきた。
そんな感じです。
まだまだ続くと思ってた
受験生活が
プツリ。と
終わってしまって、
なんだか、あっけないというか
やりきった!!という感じでもないですが・・・
嬉しい誤算です。
受験勉強の8割を費やした
数学をまったく使わず、
受験が終わったのも
びっくりですが。。。
これからが大変なんだから、
浮かれてばかりはいけませんね。
10月から
やってない生物も
勉強しなおさなきゃなダメだし、
怠けたら4月からの
しっぺ返しもあるし(^^;
でも何で受かったのか。
わからない部分が多いんです。
2次の面接では
質問の意図を取り違え、
言い直したり・・・
それも2問も。。。。
職種の志望動機も
言わせて貰えず。。。
自己PRの質問もなく。
だたいえるのは、
ものすごく一生懸命だった。
言葉一つ一つを大切に言ったこと。
できるだけ看護師と自分の過去を
結びつけた答え。
そして
私は、こんなことがしたい。と
言った後、
いや。絶対やります!!と
言い切ったとき、
相手側が、頬を緩ませたのは記憶にある。
それが決め手だったのか?
あとは、無理に大人ぶらなかった。
社会人入試を受けた私。
たしかに18歳の子よりは
大人だとは思う。
だけど、働いた事もないし、
年齢的にも社会人入試受験者の中では
一番年下の部類にはいる。
だから、
すごいキレイな敬語でもなかったし
大人です!とは言わなかった。
大人(30歳とかの人)と
子供(18歳の子)の
間にたつ人として、
パイプ役。そんな人でありたい。
それが22歳である私の役目だと
思うから。
そんな気持ちが通じたのかな。
なによりもそんな私を認めてくれた
学校に入れる
チャンスを掴んだのだから
あの学校で
精一杯やっていこう。
私に看護師になりたいという気持ちを
強めてくれた病院附属の学校で
学べる幸運を忘れずに。
一歩ずつ確実に。
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